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Dr.YUBIのもしもしクリニック開院中13

子どもから元気をもらう

2011年3月11日。テレビの前で私はぼうせんとした。これは現実か。はたまた大がかりな特撮映画か。現実だと気付くやいなや、私は虚無感に襲われた。テレビを眺めている自分がとてもちっぽけに見えた。
私の住む鳥取県米子市内でも早くも動く人がいた。リサイクル物資を集め、被災地へ届けようという動きだ。おそらくテレビを見ていた誰もが、何か力になりたいと思ったのだろう。回収所には長蛇の列ができた。しかし、そこにはゴミとも考えられる物資もあった。
私が知っているのはここまでだ。その物資が被災地に届いたのかどうかはわからない。私は、鳥取大学の医療班として4月8日から12日まで、茨城県石巻市女川町に行ってきた。私が抜けることで、患者さんや同僚の先生に多大な迷惑をかけたことはここでおわびしたい。
私が見た女川は、まがまがしい光景だった。紫色の空気はゆがんで見えた。女川は、津波の被害が最も大きかった場所の一つだ。みな家を流され、家族を失い、喪失体験にうつむきながら、体育館などの避難所に逃れていた。その生活スタイルは驚くべきものだった。
震災から1ヶ月がたち、食糧は十分に届くようになっていた。しかし、配給された食事を青空の下で食べる人はいなかった。みなダンボールで区切った狭いスペースの中でそれを食べていた。外に出るのは、朝夕の配給をとりに行く時だけだ。
私は無性に切ない気持ちになった。被災して落ち込む大人たち。与えられた食事を食べるだけの生活に、どんな思いを抱えていたのか。唯一の救いは、子どもの声がしたことだ。子供たちは大人がうなだれる中、消防車の横でブランコをして遊び、体育館の入り口で走り回っていた。
するとどうだろう。子供たちの無邪気さが、徐々に大人に電線hしていった。大人に元気を与え、前を向かせていったのだ。子供たちは女川再活性化の最初のカギになったのだ。私たちの財産“子ども“。あらためて気付かされる、そんな東北遠征だった。

2014年9月23日 日本海新聞掲載

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